明治17年(1884年)日本では肝油と言えば舶来品に依存していましたが、初代伊藤千太郎は国産化に着目し、マダラの本場である北海道で生産したタラ肝油の商用販売を日本で初めて始めました。その後南樺太が領土となるや、漁場が広がり岩内から稚内に工場を移し肝油の生産は盛んになりました。 |
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メガネ肝油は明治20年(1887年)より鼻眼鏡のマークを付けた眼鏡印肝油として販売しております。これは、明治22年4月面積15.27平方キロメートル人口 約46万2千人の大阪市が誕生するに当たり大阪市の市章が必要との話題や多くの外国製商品に商標が付いているのに着目した初代千太郎は、自社の商品にも商標を付けて自社製品に責任と誇りを持って販売しようと言う考えに至りました。どのようなマークを商標とするか考えていた千太郎は、ドイツ商館から贈られた当時ハイカラで高級品であった鼻眼鏡が、舶来品に負けない品質と高級な品質の自社の肝油にぴったりイメージが有ったようです。 |