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メガネ肝油とその商標

肝油の国産化と弊社の歩み

 明治17年(1884年)日本では肝油と言えば舶来品に依存していましたが、初代伊藤千太郎は国産化に着目し、マダラの本場である北海道で生産したタラ肝油の商用販売を日本で初めて始めました。その後南樺太が領土となるや、漁場が広がり岩内から稚内に工場を移し肝油の生産は盛んになりました。
 明治42年(1909年)には、水蒸気煮釜式と和紙袋ろ過法を用い内外の博覧会(日英大博覧会名誉大賞・米国セントルイス萬国博覧会名誉金牌・露国萬国漁業博覧会金牌・伊太利美蘭萬国博覧会金牌・等々)で多数の賞を受け、眼鏡印肝油の良質が広く国内外に認められるようになりました。
 大正15年(1925年)広島市の小学校において眼鏡印肝油の学童集団服用が日本で初めて開始されました。その後服用校は5千校に達しました。それにより全国にメガネ肝油として広く知られました。
 戦後天然タラ肝油の学童服用はなくなり、薬局薬店の大衆薬として皆様の健康の一助になっておりました。
 現在は、日本薬局方規格の医薬品原料が無くなり、ヨーロッパ規格の天然鱈肝油となりましたので、栄養機能食品として天然鱈肝油の販売を続けています。

眼鏡印の商標のはなし

メガネ肝油は明治20年(1887年)より鼻眼鏡のマークを付けた眼鏡印肝油として販売しております。これは、明治22年4月面積15.27平方キロメートル人口 約46万2千人の大阪市が誕生するに当たり大阪市の市章が必要との話題や多くの外国製商品に商標が付いているのに着目した初代千太郎は、自社の商品にも商標を付けて自社製品に責任と誇りを持って販売しようと言う考えに至りました。どのようなマークを商標とするか考えていた千太郎は、ドイツ商館から贈られた当時ハイカラで高級品であった鼻眼鏡が、舶来品に負けない品質と高級な品質の自社の肝油にぴったりイメージが有ったようです。
 そして、4年後明治24年(1891年)特許局に登録、以後鼻メガネのマークを商標とし商品名をメガネ肝油として販売しています。

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